沖縄には本州では見られない伝統的な骨壺【厨子甕】があります。実は厨子甕を見れば、沖縄の人々が考える「あの世の世界」が分かります。沖縄の人々はかつて「あの世」をどのように考えていたのでしょうか?
かつての沖縄には「洗骨」という葬送文化が根付いていた

沖縄は、その昔風葬が主流でした。山や岩場など風通しの良い場所に横穴を掘り、遺体を安置させて自然に白骨化させていました。この形が時代とともに変化し、沖縄の伝統的な墓の構造の原点となります。
お墓が「遺体を白骨化させる場所」だけでなく「遺骨を安置する場所」となると、洗骨(せんこつ)という風習が生まれます。これは風葬によって白骨化した骨を墓から取り出し、海の水を使って骨を洗い清めるものです。洗い清められた骨は、「厨子甕(ずしがめ)」と呼ばれる沖縄の伝統的な骨壺に納められ再び墓に安置されます。
実はこの厨子甕は、石製と陶製の2種類あります。石製の厨子甕の方が年代としては古く、主にサンゴ石を使っていました。陶製の厨子甕が作られるようになったのは1670代頃といわれており、地元では「ジーシガーミ」と呼ばれています。
ただし陶製の厨子甕にも年代によって形に特徴があります。現在陶器店で見ることが出来る厨子甕は「御殿厨子(うどぅんずし)」と呼ばれるものです。王様の屋敷のような御殿(うどぅん)の形を模したもので、18世紀以降の厨子甕の定番の形となっています。
実際に御殿厨子と王様の別邸であった識名園の建物を見比べてみると、先ほどの説明が「なるほどね!」となります。
【御殿厨子】の屋根部分

ちなみに、厨子甕には年代別に流行の形があります。そのため形を見るとどの年代に作られたものかが分かります。

厨子甕に穴が開いているのは「魂の出入り口」だった
いろいろな形をした厨子甕がありますが、実は共通点があります。それは「甕に穴があけられていること」です。




そもそも沖縄の骨壺は、「魂の器」といわれています。沖縄では「魂」を「まぶい」といいます。人としてこの世に生まれてきても、その魂はなかなか体にくっついてくれません。そのため何かの拍子にすぐに体から飛び出してしまいます。
もちろん年を重ねていくにつれて魂は「体」という器になじんできます。ところが死んでしまうと、せっかく馴染んだ「体」という器から魂は飛び出していかなければいけません。そのため、死んだ後の魂の器として準備されたのが「厨子甕」です。
厨子甕の中は魔物たちが入り込まないように、様々な装飾が施されています。たとえばありがたい仏さまや蓮の花、しゃちほこなどの模様がそれにあたります。そのため厨子甕に納められた魂は、生きている時と同じように自由に外の世界に出かけていきます。つまり厨子甕の穴は「魂が自由に出入りするための出入り口」というわけなのです。
「自分で厨子甕を準備する」が長寿の秘訣だった
沖縄では、この世を去った後も魂は姿を変えて生き続けると考えられています。そのため厨子甕は「あの世のおうち」であり、この世の「体」と同じ意味があります。
自由に出入りできるわけですから、長く暮らした自宅にも遊びに来ます。時には畑に出かけて畑仕事をすることもあります。夜になれば他のご先祖様と一緒に泡盛を呑みながら楽しく遊ぶこともあります。
つまり沖縄の人にとって「あの世」は「この世」の延長線上にあると考えているわけです。だからご先祖様を供養することはもちろんのこと、「祈り」がある暮らしも特別なことではなく日常生活の一部なのです。
そんな考えを持つ沖縄の厨子甕は、かつては自分で準備するものでした。あの世の家となる厨子甕を自分で準備しておくことは「長寿の秘訣」と考えられており、決して縁起が悪いことではありませんでした。これは今でいう「寿陵墓」と同じ考え方なわけで、非常に興味深い風習とも言えます。
芸術品として評価されるようになった厨子甕
今でも焼き物の産地に行くと購入することが出来る厨子甕ですが、美しい装飾が高く評価されるようになったことから芸術品として購入する人も少しずつ増えてきました。特に観光客でにぎわう那覇市のやちむん通りでは、土産物品として厨子甕を購入する人の姿もあります。
「魂の器」としての価値だけでなく、工芸品として新たな価値を見出した沖縄の厨子甕。あなたも一度厨子甕の世界に直接触れてみてはいかがですか?