
琉球戦国時代には個性豊かな武将たちがたくさんいます。もちろん有名な武将たちもたくさんいますが、中にはあまり知られていないけど個性がすごい武将たちがいます。知っていると自慢できる武将を3選紹介します。
泰期(たいき)
【活躍した時期】1300年代中期~1400年代後半
一言でいうとこんな人物
泰期は武将としても有名なのですが、それ以上に地元では「商売の神様」として有名な武将です。何しろ中国の歴史書で琉球の人物として最初に登場したのも彼です。
伝承によると察度王の弟であるといわれている泰期は、中国(当時は明)から来貢の催促を受けていた兄の命を受け琉球国王の使者として中国にわたりました。
この時の交渉に成功したことがきっかけとなり、琉球は中国と公式な外交関係を築くことが出来たといいます。
意外なエピソード
察度王というと、天女と父である奥間大親との間に生まれたという伝説があります。
これが本当かどうかについてはまた別の話としますが、察度王を産んだ天女はその後天に帰ってしまいます。
その後奥間大親は又吉家の娘を後妻にします。この後妻との間に生まれたのが泰期だといわれています。
もともとは本島中部の読谷村宇座に拠点を置き、そこにある長浜港から危険な海外貿易を何度も成功させてきたため地元では「貿易の天才」といわれていました。
ただ中国との正式な貿易が始まると、拠点であった宇座を離れ那覇の小禄に城を築きここを居城とします。
ですから泰期の功績をたたえる歌碑などは生まれ育った読谷村宇座にあるのですが、琉球の歴史上もっとも重要な役目を果たしていた時期には那覇ンチュ(那覇の人)であったというわけなのです。
攀安知(はんあんち)
【活躍した時期】13世紀~14世紀初頭
一言でいうとこんな人物
琉球戦国時代でトップ3に入るといっても過言でないほどワイルドな武将です。
とにかく男気溢れる性格で、回りくどい根回しや相手との心理戦となる駆け引きは大嫌いです。
その代り刀を持たせれば百人力!刀を抜いた瞬間から、目の前の敵がいなくなったという逸話があるほどです。
そのため歴史書の中では「乱暴者」という扱いが多いのですがその人物像を見てみると、武力だけで国を治めたのではなく文化の継承や発展にも非常に力を注いでいた人物であることがわかります。
愛刀には、のちに琉球王国の国宝になる千代金丸があります。
三山時代を生きた武将で、北山の最後の王でもあります。とにかく戦いにめっぽう強かった攀安知ですが、尚巴志の北山攻略によって破れてしまいます。
意外なエピソード
ワイルドな性格と抜群の行動力で男性の魅力を最大限発揮しまくっていた彼ですが、実は笑うとその口元にはえくぼが出来たといいます。
ワイルドな見た目とキュートなえくぼのギャップを直接見ていた当時の女性たちは、どんな視線を彼に送っていたのでしょうか?
大城賢雄(うふぐしくけんゆう)
【活躍した時期】14世紀初頭~14世紀中期
一言でいうとこんな人物
「鬼」の異名を持つ琉球史上まれにみる最強の武将といわれるのが大城賢雄です。
小柄な体型が多いといわれている琉球で身長が2m近くあったというのですから、見た目だけでもすでに「鬼」を連想させます。
また無口でクールな性格だったということもあって、基本的に人から敬遠されがちなタイプでした。
ただし主君に対する忠誠心は非常に強く、またくだされた命令には絶対に逆らいません。
さらにどんなに困難と思われる命令でも必ず実行し成功をおさめてきたところも「鬼」といわれる理由の一つにあります。
意外なエピソード
大城賢雄という名前だけだとピンと来ないかもしれませんが、阿麻和利の歴史を調べていけば必ず登場する人物です。
阿麻和利は琉球統一後も自らが権力を持つチャンスを狙っていました。その陰謀に気づいた王軍によって阿麻和利の居城は取り囲まれます。
王軍の攻撃を受ける城から、当時阿麻和利の妻となっていた国王の娘・百十踏揚を救い出したのが大城賢雄です。
この戦いによって阿麻和利は死亡したため、妻であった百十踏揚は未亡人となります。
そこで娘を救い出した褒美として、大城賢雄に百十踏揚との再婚話が持ち上がります。
百十踏揚は絶世の美女といわれていたほどの女性ですから、もちろん大城賢雄は即OK!
「鬼」と呼ばれた最強の武将ですが、その妻は琉球史上最高の美女だったというところも面白いですよね?