
沖縄本島からフェリーで渡ることができる久高島は、地元では「神様の島」と呼ばれる場所。そんな久高島には12年に1度に行われる伝説の祭り【イザイホー】があります。なぜ伝説の祭りなのか、理由を調べてみました。
12年に1度しか行われない祭り
イザイホーは久高島で行われる伝説の祭りです。
もちろんそれは沖縄の神様に関係する祭ということもあるのですが、なによりも「12年に1度しか行われない」ということも伝説と呼ばれていることと関係しています。
さらに長い間「秘祭」として部外者への公開を行っていなかったため、その祭りを知る人が現状ほとんどいません。
イザイホーが伝説と呼ばれる理由はほかにもあります。
この祭りに参加するためには「久高島で生まれ育った30歳以上の既婚女性」という厳しい条件をクリアしていなければいけません。
ところが島の過疎化が進んでしまったため、この条件を満たす人がいなくなりました。
さらにこの儀式を進めるうえで重要になる祝詞や流れを知る神官が亡くなったこともあって、1978年を最後に現在に至るまで行われていません。
令和に入ってから最初に行われるイザイホーは2026年開催の予定なのですが、2014年も中止されていることから2026年も中止の可能性が高いです。
すでに2014年の時点で祭りの存続そのものを危ぶむ声が島の内部から上がっていることから、実現するのはかなり厳しいと考えられます。
イザイホーは女性の通過儀式
久高島には「男はウミンチュ(漁師)、女はカミンチュ(神女)」という古い言葉があります。
このことからも分かるように、久高島に生まれた女性は神に使えるカミンチュになることが義務付けられていたことが分かります。
イザイホーに参加した女性たちは、イザイホーのために島を訪れる来訪神に認められることでカミンチュとなります。
これは琉球王国時代より続く「おなり(妹)神信仰」に基づいています。
おなり神信仰の基本的な考え方は「妹は兄を霊的に守護する存在」なのですが、時代とともにこの解釈が拡大し「女性は、男性を霊的に守護し神様に仕える存在」となりました。
そのためイザイホーに参加する条件として「久高島で生まれ育った30代以上の女性」のほかに「「既婚女性」という条件が加わったのかもしれません。
久高島のカミンチュには6つの地位に分かれる
久高島のカミンチュたちは、久高家と外間家の2つに分かれます。
この2つのグループにはそれぞれ最高職とされる「ノロ」が存在します。
ノロの下には「ウッテガミ」と呼ばれる補佐役がいて、その下に3つのカミンチュグループがあります。
ウッテガミの下に位置するカミンチュグループは「タムト(61~70歳のグループ)」「ウンサク(54~60歳のグループ)」「ヤジク(42~53歳のグループ)」があり、この下にイザイホーに初参加となる31歳以上のカミンチュグループ「ナンチュ」があります。
イザイホーにはタブーがある
カミンチュになるための儀式ですから、当然タブーと言われることもあります。もっとも有名なタブーは「七つ橋を渡る時のタブー」です。
七つ橋はナンチュと呼ばれる新人巫女の亀井儀式が行われる拝殿の前にあり、この橋を渡って儀式に参加します。そしてこの橋を渡るときのタブーが「つまづく」「落ちる」です。
なんでも橋を渡るときにつまづいたり落ちてしまう女性は、神様を怒らせるような悪いことをしてきた証拠だと言い伝えられています。
つまりそのような女性は「カミンチュになる資格がない」とみなされたわけです。
そのため儀式を受ける前に七つ橋を渡らせ、カミンチュになる資格があるのかを見極めていたのでしょう。
イザイホーでも最後はカチャーシー
沖縄では今でも結婚式などのような祝いの席の締めにはカチャーシーと呼ばれる踊りを踊るのですが、イザイホーでも最後はカチャーシーで締めます。
なにしろカミンチュとして認められた新人巫女たちは、自宅に帰ると家族から盛大に祝福されます。
しかも彼女たちの頭には、神様と同等になったことを表す緑の葉の冠が置かれます。
さらに家族からの祝福を受けた新人巫女たちは、イザイホーに参加した先輩カミンチュたちと合流し神様に感謝しながら神酒を飲み歌い踊ります。
もちろん歌や踊りは神様を賛美するためのもの・・・。
そんな神様と共に過ごす時間の後に宴会が行われるのですから、当然締めはカチャーシー。
さぞかしめでたい光景が広がっていたことでしょうね。
伝説の秘祭は島の女性たちが神様と一体になれる祭りだった
久高島のイザイホーは今では存続そのものの危機が叫ばれる秘祭ですが、その内容をみると島の女性が神様と一体になる神秘的な儀式であったことが分かります。
今後復活できるかどうかは全く分かっていませんが、少なくともこうした祭りが600年以上も続いていたということだけは記憶として残ってほしいものです。